半年ほど前から、耳に切れ目の入った地域ネコが餌をもらいにくるようになった。
餌は欲しいけど、基本的に人間の事は信用していない。
愛情のようなものをたっぷり受けていないと、悪い顔つきになる。
人間も猫も同じだ。目つきが悪くやさぐれている。
朝と夕方玄関の前でニャーではなく、低い声でミャーとなく。
AIに聞くと、
「これは、地域ネコの特性であり人間が餌をあげたくなる周波数を出す」との事だ。
嘘である。
人間の解釈は曖昧で、そしていい加減である。
猫は多分こう言っている「おい、飯まだかよ」
しかし、人間はこう解釈する。「お腹減ったんだねかわいそうに、今あげるね」
この猫が人間の言葉を話すなら、「お前言い方に気をつけろ」という事になるだろう。
その曖昧さや、いい加減さの中に「人間味」が潜んでいる。
そして、その曖昧さ、いい加減さがある事により
「こうであるべきだ」を人間は把握し量産してきた。
現代で言えば0から作るより模倣、その方が速く、売れる、また作れる。
これが現代の社会の一部として大きく動いている。
それは誤りではない、しかし、正しいのかも僕にはわからない。
約2年間でこの1日3組限定の小さなキャンプ場に延べ400組の方々が来てくれた。
キャンプ場としては少ない。
けれどもその中には、「こういう小規模のキャンプ場や場を作りたい」
そんな人が何人か含まれていた。
そんな事もあり、
「判断や正解の手前で一度立ち止まるための場」として
Gravity.という場所を、静かに動かし始めた。
今日の予報では、夜から朝にかけてマイナス7度まで気温が下がる。
外にいる猫は耐えられるだろうか?
簡易の小屋に暖かい布と、ホカロンを2つ入れてあげた。