Parallel world

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隣の池を知らない金魚

庭に二つの池がある。
片方には、僕が金魚を七匹入れた。
気づけば百匹を超えて、小さな社会になっている。

もう一方の池には、何も入れなかった。
けれども、そこには無数のお玉杓子が泳いでいる。

環境はほぼ同じだ。
違うのは「最初のきっかけ」だけ。
それだけで、池は全く別の世界になってしまう。

金魚は隣の池を知らない。
お玉杓子もまた、金魚の群れを知らない。
互いに越えることのできない境界を前に、
存在すら想像できない。

——僕ら人間も同じだ。
社会や宇宙は、すぐ隣にあっても見えない。
未来や別の選択肢も、境界の外にあれば届かない。

そしてふと思う。
僕らのキャンプ場と、別のキャンプ場。
僕らのスモークチーズと、他社のスモークチーズ。
ほぼ同じ環境のように見えて、
「最初のきっかけ」が違うから、来る人も買う人も違って当然だ。
どちらが正しいとか優れているとかではなく、
それぞれの池に、それぞれの生態系がある。

だから僕は、見えない池を想像する。
そこにはまだ出会ったことのない生き物がいて、
まだ味わったことのない空気があるのかもしれない。

パラレルワールドという言葉が真実ならば、
隣にあるのに存在さえ知らず、行く手段もない。
僕は、じっと2つの池を眺めてパラレルワールドって
こういう事なんじゃないか?
しかし、その外側にいる何かには両方の世界が見えている。
そう思った。

想像することだけが、ここではないどこかへの唯一の通路。
そう信じて、今日も池を眺めている。

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